2025年09月05日 1885号

【関東大震災時の朝鮮人虐殺/歴史の捏造に行政が加担/過去の隠蔽が招く未来の虐殺】

 関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺は、普通の市民が民族差別に由来するデマに突き動かされ凶行に走った事件であった。そのような過去があり、いつ再び大地震に襲われてもおかしくない都市で、政治家が外国人嫌悪の感情を煽り、行政が歴史の捏造に加担している。きわめて危険な事態というほかない

今年も追悼文拒否

 関東大震災時に虐殺された朝鮮人らを追悼する9月1日の式典に、東京都の小池百合子知事は今年も追悼文を送らない意向を明らかにした。追悼文は歴代都知事が毎年送っていたが、小池は就任2年目の2017年に取りやめた。

 「東京都慰霊堂で開かれる大法要で、犠牲となられたすべての方々に哀悼の意を表している。だから個別の対応はしない」。小池はそう説明するが、震災死と虐殺死を同列に扱うことはできない。追悼文送付の取りやめは「朝鮮人虐殺はなかった」とする歴史の捏造に加担する行為だ。

 実は、横浜市の山中竹春市長も市民団体が求めている追悼文の送付に応じていない。市営墓地で管理している慰霊碑への献花こそ続けているが、それでは不十分だ。虐殺の事実を明確に認め、自治体の長として再発防止を誓うメッセージを発信すべきである。

デマの発信源は横浜

 震災後の朝鮮人虐殺の様相をみると、横浜は東京以上に大規模かつ凄惨な様相を呈していた。市の公的資料も「本市は震災第一日の夜、根岸方面に於いて既に暴動浮説が生まれて、翌二日からは全市近郷隈なく暴状を呈し、暴民による多数の殺害を見、大なる不祥事を惹起するに至ったのである」と記している(『横浜市震災誌第四冊』)。

 後藤周著『それは丘の上から始まった』(ころから刊)によると、市南部の丘陵地で「朝鮮人襲来、放火、強姦、井戸に投毒のおそれあり」の流言が発生。避難民の移動とともに北部に伝わっていった。横浜は関東一円に広がった「不逞鮮人」デマの発信源なのだ。

 このようなデマがなぜ生まれ、普通の市民を集団殺戮に走らせるほどの影響力を持ちえたのか。背景には、日本の植民地支配に由来する朝鮮人への差別感情がある。しかも日本の新聞は、日本の支配に対する朝鮮民衆の抵抗を理不尽な憎しみにもとづく暴力であるかのように歪めて報じていた。「朝鮮人は怖い」というイメージが震災前から浸透していたということだ。

 ただし、それだけで虐殺が自然発生するわけがない。横浜のケースでも警察が決定的な役割をはたしていた。多くの人びとが「朝鮮人を殺すことは警察から許されている」という風説を聞いている。実際、警察自らがデマをあおり、住民に武装を促し、虐殺に加わった。

 軍隊はどう動いたか。横浜に最初に到着した海軍陸戦隊と陸軍部隊は「朝鮮人暴動」を事実ととらえ行動した。ある警察署の報告には、陸戦隊が「不逞鮮人防圧のために出動した」とある。海軍兵士によって中国人労働者5名が殺傷されたという聞き取り調査も残されている。

 こうした警察や軍隊の行動が「朝鮮人襲来」や「殺してもお構いなしと官憲が認めた」というデマに信憑性を与え、人びとを凶行へと突き動かしたのだ。民族差別に基づく集団殺戮を扇動し、自らも実行した罪はあまりに重い。

実態調査すらせず

 一昨年9月、関東大震災時の朝鮮人虐殺が横浜市を中心に神奈川県で多発していたことを示す文書が見つかった。震災から2か月後に県知事が内務省警保局長に送った報告書で、57件の事件が起き145人が殺されたとある。数は少ないが被害者の名前や職業が書かれた貴重な史料だ。とはいえ、虐殺の証言数が多い場所の記録はない。探せば、裏付けとなる新資料が出てくる可能性がある。

 ところが、神奈川県も横浜市も実態調査を行う気はさらさらないようだ。東京新聞が昨年行ったアンケート調査に対し、神奈川県は「把握している殺害人数は11人」と回答した。県の認識だと、横浜市内での朝鮮人虐殺は確認されていない=0人ということになる。

 横浜市では、中学生向け副読本の「朝鮮人虐殺」記述を問題視され、1冊残らず回収された上、「溶解処分」される事件が起きた(2012〜2013年)。新たな副読本では「虐殺」が「殺害」に変更され、警察や軍隊の関与を示す記述も削除された。

 過去に発生したヘイト虐殺を政府や当該自治体が隠蔽し、歴史の捏造である否定論を助長する。そのうえ、外国人叩きを売りにする政治家が喝采を浴びる今の状況は危険すぎる。虐殺の事実を否定することは、未来の虐殺を準備することだ。行政による史実の隠蔽を許してはならない。 (M)

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