2025年09月19日 1887号

【シネマ観客席/壁の外側と内側 パレスチナ・イスラエル取材記/監督・撮影・製作 川上泰徳 配給 きろくびと 2025年 104分/ニュースが報じない占領の「日常」】

 なぜ「ガザ戦争」が続くのか。問題の根底にあるイスラエルのパレスチナ占領とは何か―。中東ジャーナリストの川上泰徳さんの初監督作品『壁の外側と内側』は、ニュースが伝えないパレスチナとイスラエルの「日常」を取材したドキュメンタリー映画である。

 川上監督は元朝日新聞中東特派員で、退社後はフリーランスとしてパレスチナ取材を続けてきた。そうしたキャリアがあっても、2023年10月7日以降のガザに対する際限なき大規模殺戮は「自分の理解の範疇を超えていた」と言う。

 外国人ジャーナリストがガザに入ることが困難な中、川上監督は昨年7月、イスラエルの占領下にあるヨルダン川西岸地区を単身訪ねた。取材の様子はすべてスマートフォンで撮影。その映像を映画にまとめたのが本作である。

 タイトルの壁とは、イスラエルが西岸に建設した分離壁のこと。パレスチナ人を閉じ込めるために作られ、全長700qに及ぶ。国際司法裁判所は分離壁を「国際法違反」と断定し、「解体」を勧告する意見を出したが、イスラエル政府は無視し続けている。

生きることが抵抗

 川上監督は、イスラエルからみて「壁の外側」にあたる西岸に入るところからアポなし取材を始めた。ベツレヘム、ヘブロンを経て、最南端にあるマサーフェル・ヤッタ地域へ。米アカデミー賞受賞作のドキュメンタリー映画『ノー・アザー・ランド』の舞台となった場所である。

 羊飼いの青年と出会う。彼は右手の手首から先を失っていた。イスラエル軍が廃棄した地雷のせいだという。この地域はイスラエル軍の軍事地域(演習場)に指定され、住民は家屋や学校の破壊などの追い出し攻撃を受けていた。

 自動小銃等で武装したイスラエル人入植者による暴力も日常的に行われていた。家に放火され、羊を盗まれ、水道管や太陽光発電のパネルを壊された。この土地に住めなくするための嫌がらせである。

 家屋を破壊された人びとはテントや洞窟式住居で暮らしていた。イスラエルの暴力は圧倒的で、状況は悲惨だ。だが、彼らは決して屈していない。先祖代々そうだったように土地に根を張り、人間らしい生活を維持しようとしている。

 「ここを離れようと考えたことはないのですか」という川上監督の問いに、羊飼いの青年はこう答えた。「私はここで生まれ、この土地で生きる糧を得ている。どんなことがあっても、ここで家族を養っていくしかない」。生き抜くこと自体がイスラエルの民族浄化政策に対する彼らの抵抗闘争だということだ。

心の中の壁

 「壁の内側」に戻ると、ハマスに捕らえられた人質の早期解放を求める市民のデモがエルサレムで行われていた。集まった人びとは戦争継続に固執するネタニヤフ政権の「人命軽視」を批判する。しかし彼らの関心は人質のみ。日々殺されているガザ住民のことは眼中にないのだ。

 どうしてなのか。独立メディアのジャーナリストはこう言った。「イスラエルの主要な新聞・テレビは占領地のこともガザのことも報じない。イスラエル国民にとって、パレスチナ人はテロリストでなければ、存在しないのです」

 メディアが伝えないから、イスラエル人は加害の事実を知らず、軍はテロリストと戦っていると思い込んでいるというのだ。とはいえ、インターネット環境が整備された現在、外国メディアの報道やSNSでの発信などを通じて、ガザに関する正しい情報を得ることは可能なはずだ。

 ところが、自らすすんで占領や戦争の「不都合な情報」を知ろうとする者はほとんどいない。心に壁を作り見たくない事実を外に追いやることで、良心が痛まないようにしている。それはイスラエルだけの話ではない。日本の私たちも「無関心の壁」を作っているのではないか。

兵役拒否の若者も

 社会全体が人間性を喪失した状態にあるイスラエル。その中にあっても、壁の向こう側の占領支配に目を向け、行動する若者たちに川上監督は出会った。高校を卒業したばかりの、兵役を拒否した3人だ。

 その1人が召集される日がきた。兵役を拒否すれば、軍の規律違反で数か月収監される。その後、軍事裁判にかけられ、服役する者もいる。それでも彼は「私はガザのジェノサイドと占領を拒否する」と語り、仲間の励ましの声を背中に受けながら、軍の施設の中に入っていった。

 「人間らしく生きるとはどういうことか」と考えさせられる。壁の内側に閉じこもり無関心を決め込むことは、占領に加担することではないか。本作はそう問いかけている。  (O)

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