2025年10月03日 1889号
【議会を変える/京都府精華町議 神田たかひろ/決して無効ではない「確認書」の意義を問いただす】
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京都府精華町の祝園(ほうその)弾薬庫は、枚方(ひらかた)・禁野(きんや)火薬庫の大爆発による移転先として1941年に開設されました。敗戦後は米軍の管理下でしたが、米軍から日本に返還されることが決まると、町民・町・議会一体の土地返還運動が大きく広がります。
1960年、返還はかないませんでしたが、精華町と防衛局、自衛隊とで「核兵器は貯蔵しない」「土地、貯蔵施設は拡張しない」「現施設の貯蔵能力以上は貯蔵しない、増加する場合は事前に町側と事前協議する」等23項目の確認事項を締結したのが「確認書」です。
ところが、防衛省はおろか精華町まで確認書に契約的意味合いはない(=拡張可能)という認識です。そこで、9月精華町議会で確認書の認識について質問しました。
(答弁)「確認書の存在があるからこそ、町民の安全・安心の確保を最優先に基地との共存を図りつつ、現状に応じた町の課題の解決に向けた内容を、町長が先頭に立って防衛省との意見交換や要望を行っている」
(質問)「PTAとか青年会も、もう基地は嫌だということを踏まえ苦渋の決断としての確認書なので、無効ではないとの認識でよいか」
(次長答弁)「公文書として本町として保存をしている歴史的文書であり、行政文書として有効なものと認識をしている。今後もこの確認書の精神は、引き続き職員としても受け継ぎながら基地対策に当たりたい」
(副町長答弁)「60年前の文書で更新されてない。更新されてない文書をそのまま有効な公文書として取り扱うことはできないので歴史的文書と申し上げている。そこに公文書の扱いについての課題がある。我々が強調してきたのは、当時の精神を歴代町長は受け継いできている。特に町長に歴代引き継がれてきた文書の中のファイルに、昭和35年(1960年)の2月26日の精華町議会の議決に際しての議事録のコピーもある」
確認書について精華町から契約的意味合いはないなどという認識を発することは精華町民に対して損失を与えるものではないかと質問していたこともあり、無効であるとは答弁されていません。
10月19日には、精華町けいはんな記念公園で「私たちは二度と戦争をしたくない!祝園全国集会」を数千人規模で開催予定です。ご参加、よろしくお願いします。 |
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