2025年10月10日 1890号
【哲学世間話(47)/参政党が「文化的マルクス主義」に見出したもの】
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参政党の神谷代表が国会に提出した「質問主意書」のなかに、「文化的マルクス主義」という奇妙な言葉が見受けられる。
元はと言えばこの奇妙な用語は、1990年代にアメリカの右派思想家たちが人種やジェンダー差別に抗して展開された反対運動を指すのに使ったものである。右派はこうした運動の背後に、西欧型マルクス主義の一種であるフランクフルト学派の理論が存在し、そのような民主主義的運動は、国家秩序を内側から破壊するためにこの学派の仕組んだ「陰謀」なのだという荒唐無稽な論を振りまいた。
実は、神谷の「主意書」にも、「フランクフルト学派」や「アントニオ・グラムシの理論」という語が登場している。神谷は声高に言う。「我が国においても、ジェンダー平等、ダイバーシティ推進、多文化共生、外国人参政権」といった「一見穏当な」要求の「裏側で」狙われているのは、国家や公共性の秩序そのものを掘り崩すことなのだ、と。彼は数十年前のアメリカ右翼の「陰謀論」を蒸し返しているのである。
神谷が列挙している「一見穏当な」諸要求は、厳密には「マルクス主義的」とは言えない。それらは、いわば「マルクス主義未満」の要求である。この諸要求は、社会主義以前に資本主義社会においても実現されるべき、また実現可能な一般民主主義的要求だからである。神谷はそれに「マルクス主義」「共産主義」とのレッテルを貼ることで、「陰謀」的な国家秩序の転覆運動だ、と脅かそうとしているのである。
だが、裏側から見れば、神谷は案外、直観的に事の本質を捉えていると言えるかもしれない。
資本主義社会内部で、さまざまな領域の差別と抑圧に抗して、民主主義的要求を実現していく運動の積み重ねこそ、より徹底した平等の実現(社会主義)を可能にする土台を築き上げるものだからである。一般民主主義の徹底こそ、民主主義的社会主義を実現する。
そして、そうした諸運動は人と人の社会的関係を徐々に変革していく。その社会的関係総体の政治的・集約的表現が「国家」である以上、そうした運動は当然、既存の「国家や公共性の秩序」をも変えていく。その新たな秩序がわれわれのめざす民主主義的社会主義なのである。神谷はその運動をわれわれと正反対の立場から眺め、それを恐れている。(筆者は元大学教員) |
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