2025年10月10日 1890号

【シネマ観客席/非常戒厳前夜/キム・ヨンジン監督 ニュース打破フィルム 2025年 韓国 111分/弾圧に屈しない記者たちの闘い】

 非常戒厳令を出したものの、弾劾され失職した韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)前大統領。彼はなぜ民主主義を破壊する暴挙に走ったのか。公開中の映画『非常戒厳前夜』は、その背景にある言論弾圧を標的にされた当事者が記録したドキュメンタリーだ。

非常戒厳に至る背景

 今年4月に大統領を罷免されたユンは、内乱罪などの容疑で起訴され、現在勾留中の身である。配偶者のキム・ゴンヒ(金建希)も、株価操作や収賄など複数の容疑で逮捕・起訴された。一連の出来事ついて「理解不能」と感じている人も多いのではないか。

 その一因は日本の報道にある。「日韓関係を改善させた」という側面だけでユンを評価し、彼が行ってきた政策の問題点や数々の不正疑惑はほとんど報じてこなかった。ユンが罷免された後も「親日派の退陣を惜しむ」式の言説が消えることはなかった。

 本作の韓国でのタイトルは『押収捜索/内乱の始まり』という。自分に都合が悪い報道をしたメディアに対する弾圧は、国家権力を私物化する行為にほかならず、非常戒厳宣布の前兆であったという意味が込められている。

 標的にされたのは、調査報道を専門とする「ニュース打破(タパ)」。イ・ミョンバク(李明博)政権下で不当解雇されたジャーナリストが中心となり立ち上げた独立メディアだ。報道の独立性を確保するため、企業広告をとらず、後援会員(現在約6万人)からの会費で運営されている。

 ニュース打破はユンが次期検察総長の有力候補だった頃から、彼と配偶者の不正疑惑を追及してきた。とりわけ、キム・ゴンヒ夫人の「ドイツモータース株価操作疑惑」に関する報道は、後にユン政権を窮地に立たせることになった。

 2023年9月、ソウル中央地検はニュース打破に対する特別捜査を開始した。「大統領選挙でユン候補を不利にするフェイクニュースを流した」と言うのである。与党「国民の力」の代表は「国家反逆罪で死刑に値する」と非難した。そして9月14日朝、ニュース打破の本部と記者2人の自宅に家宅捜索が入った。その日は、検察予算の検証報道に関する記者会見が行われる日であった。

市民の励ましと支え

 現職の大統領による露骨な報復に、記者たちはひるまなかった。自らを被写体にして不当捜査の一部始終を記録。仕組まれた言論弾圧のからくりを暴く調査報道と法廷闘争でユン政権を追い詰めていった。

 当時、ニュース打破の代表を務めていたキム・ヨンジン(金鎔鎮)監督は検察庁に呼び出された後の囲み取材でこう言った。「本来ここに立って追及を受けるべきは誰ですか。キム・ゴンヒではないですか」「記者は権力者の情報を鵜呑みにして流したりしてはいけない。私たちは同じ記者です。今日から一緒に努力してまいりましょう」

 市民の支えも見逃せない。ニュース打破本部に家宅捜査が入った際には、支援者たちは素早く駆けつけ、検察官に抗議した。記者が検察に呼び出された時は、庁舎の前で「がんばれ」と声援を送り励ました。「マスゴミ」批判が叫ばれる日本では考えられない光景だ。記者と市民の連帯が権力の圧力に屈しない報道を可能にしているのである。

使命は権力の監視

 本作の公式ガイドブックに、南彰・新聞労連元委員長(琉球新報編集委員)が「弾圧前に自壊する日本、『打破』育んだ韓国」と題する一文を寄せている。忖度や自主規制がまかり通る日本の報道の現状を批判的に考察したものだ。

 指摘のとおりである。だが、市民の側にも責任があるように思うのだ。安倍政権が報道番組やニュースキャスター個人に圧力を加えてきた際、もっと多くの市民が抗議の声をあげていれば、今日の惨状は防げたのではないか。

 ジャーナリズムの役割は「公権力を監視すること」、そして「公的システムの誤作動を察知し、警鐘を鳴らすこと」だとキム・ヨンジン監督は語る。韓国の憲法は「主権は国民にあり、すべての権力は国民から生ずる」(第1条)と規定しているが、「正しい情報」が伝わらなければ主権者は主権を正しく行使できないと言うのである。

 「私たちは市民を代表して仕事をしているのです。簡単に権力に流されて妥協したり、資本に屈服したりせず、私たちがすべきことを黙々と行えば、私たちが自らの力でメディアへの信頼を回復できるだろうと思っています」

 キム・ヨンジン監督の決意に私たちは主権者として応えたい。ジャーナリズムが機能するためには市民の連帯と支えが不可欠なのだ。本作を観て、そうした思いを強くした。   (O)

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