2025年11月14日 1895号

【コラム 原発のない地球へ(31)三浦判事の意見を最高裁判決へ】

 3年前の6月17日に最高裁が行った福島原発事故に“国に責任なし”の不当判決。地震調査研究推進本部の2002年長期評価に基づく対策をとっていても津波による電源喪失は免れなかった、との論理を覆そうと弁護団は今さまざまな反論を試みている。

 その一つが、9月19日に仙台高裁で開かれた福島県浪江町民の津島訴訟だ。原子力安全・保安院(現原子力規制委員会)が3・11前の06年と08年に米原子力規制委員会(NRC)を訪問調査し、テロ等で全電源を喪失しても原子炉を冷却し続ける対策をとっていることを知っていた(命令書B5b)が、日本での原発規制に活かさず事故につながったと作為責任を追及する。航空機衝突を含む大規模火災や爆発による施設の損害に対応するため電源車、消防車、可搬式ポンプ、バッテリー、ケーブル等の用意をしておくというもので、長期評価の信ぴょう性云々の話ではない論法であった。ディアズNRC委員長も福島原発事故後に「B5b型の対策が実施されていれば事態を軽減する対処がなされていただろう」と述べている。

 この発想は、6・17判決のA4版54ページのうち29ページを割いた、三浦守判事による多数意見への反対意見に通じるものだ。三浦判事は、対策は防潮堤だけではない、と強調していた。以前、原子炉はそもそも想定される遡上波(そじょうは)が到達しない場所に設置されることが前提で、津波による浸水防止は十分に検討されてこなかった。しかし設置許可当時の設計津波水位の5倍超えの津波が想定される事態を前にしても「安全神話」のままであった、と批判する。

 多数意見は、長期評価では津波襲来が南東側からとしていたが実際は東側からで防潮堤を作っていても浸水は避けられなかったとするが、福島原発周囲を防潮堤で囲う際、東側だけストンと低くする工事は実態としてはありえない、とその屁理屈を叩く。原発事故は万が一にも起こしてはならないとの原子力基本法、原子炉等規制法などの趣旨に立ち、保安院が規制権限を行使して防潮堤建設を指示したかどうかが問われることだと批判した。作ってからものを言え、たら・れば≠言うべきではない、というわけだ。

 その上で三浦判事は、防潮堤だけが対策ではない、と反論した。長期評価で敷地高さ超えの津波が指摘されて以降、防潮堤完成までは一定の時間を要するとしても、まずは原発を止める必要があった、と。その間、水密化などは数年でできるので規制権限を行使して対策をとらせていれば2011年の地震・津波には十分間に合い、全電源喪失の事態には至らなかった、と“国に責任あり”と結論した。

 判決文を最後まで読んだら“国に責任あり”になるのでは、と誰もが受け止める。そんな歪(いびつ)な判決文構成だった。6・17最高裁判決後は1、2審でコピぺ判決が16件も続いているが、裁判官が思考停止しているのではなく、三浦判事の意見を活用せずに忖度(そんたく)の方を選んだ、故意犯だ。独立・公正を求める市民の声と運動が、裁判官を真っ当な判断に立ち返らせる道だろう。 (Y)

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